9/24/2016

Welcome Party/記者と編集者の違い。


昨日は、朝からコースのInductionイベントに行ってきました。
2時間ほど、講師陣の紹介や学部でこれからどんな1年が待っているかの説明を受けたあと、去年履修していた先輩5人が質問も受け付けていました。

周りの人は、ここに来るまでジャーナリストとして働いていた人とかが結構いて、圧倒されてしまいました。

同じコースの人たちはジャーナリストを目指している人が多いみたいで、本あるいは雑誌の編集者になりたい私は少し話がかみ合わなかったり。(⇦人見知りの言い訳)

ただ、ラッキーなことに去年履修していた先輩の一人が中国から来ている女の子だったのですが、本が大好きで本の編集者になりたくてここに来ましたと自己紹介をしていたので、イベントのあと個人的に話を聞きに行きました。

ジョイスちゃんって言うのですが、すごい良い人で...。
今は卒業して、現地の出版社のインターンの結果待ちをしているそうです。

去年のコースには本が大好きで同じような志の友達っていましたか?って聞いたら、残念だけど一人もいなかったって言われちゃいましたww

私には、元バイト先の雑誌編集部でアルバイトから編集者を目指している親友がいるのですが、昨日はなかなか人間関係が構築できないことで気持ちが萎えてしまったので彼女にラインで話を聞いてもらいました。

その時にジャーナリストとエディター(特に本の編集者)の違いについて話したのですが、求められるスキルは確かに似ているけど、やっていることは全然違うよねと。

ジャーナリストの友人がいるわけでもないので、実際にはどういう志を持って、皆さんがどんな想いでジャーナリストになっているかはわからないのですが、

個人的には、ジャーナリストって、社会で起きている貧困問題とか、戦争や宗教による衝突、それに伴う難民問題など、本当に深刻な状況や生死に関わることを扱っていて、そういった事実をニュースで聞いて知っている一方で、実際には他人事だと思っている人たち(私自身を含む)に、本当に分かってるの?って突きつけるというか、社会に問うというイメージがあります。

だから、生死に関わるくらい深刻な状況にいる人を救いたい、とか人間社会の理不尽な不平等さとかを少しでも正したい、解決したいと思ってなるのかなと。

でも、私が編集者になりたいのは、もっとこう、日常的に起きる苦しみとかから人を救いたいなと思うからで、本って、ニュースにならないような個人的な苦しみや悲しみ、葛藤に価値を見出すというか。
家族が癌になってしまったとかか、大好きな彼に振られてしまったとか、学校でイジメにあっているとか、そういうのってニュースにならないような個人的なことだけど、経験している本人にとっては、果てしなく大きな苦しみや悲しみじゃないですか。
そういう人を救えるのって、本(誰かの言葉)なんじゃないかなと私は思います。

例えば自分の話をすると、私は大学生の時に「編集者という病い」という本を読んで、失恋から立ち直れたり、千原ジュニアさんの書いている「すなわち、便所は宇宙である」という本で、"泳ぎ方なんて人から教わるもんじゃない!"って文章を読んで、ずっと辞めようか迷っていたサークルを辞めるという決断ができたり。

日常的かつ、他人からすると些細なことかもしれないけれど、本人にとってはとてつもなく辛いことから人を救えるのは本だと思うんです。

真面目な話になってしまったのですが、話を戻します。
インダクションの後は、コースの立食パーティがあったので参加してきました。

コースの人何人かと話すことができてよかったのですが、
初対面の人と話すのって本当に辛い。。。自分から誰かに話しかけるなんて、めちゃくちゃ苦手だし、初対面同士の薄っぺらい会話での腹の探り合いも、本当に苦手です。

そんなこんなであんまり楽しめることなく、帰ってきました。笑
性格上、この人と仲良くなりたい!と思える人を見つけるまでは、友人関係をうまく構築できないので、しばらくは大変そうです。

早く誰か見つかるといいなあ。
月曜日は講義に出てから、夜は引越しです!
IKEAは何時までやっているのだろうか。。。

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