1/21/2018

近松心中物語(舞台)を観て思ったこと。


こんばんは。はりぼうです。
前の記事で書いた、会社の同期ちゃんがブログ見てるよー楽しみにしてるよーって声をかけてくれるおかげで、ブログの更新をするモチベになります。

今日は、新国立劇場で「近松心中物語」を観てきました。

実は、今日は忙しくて。昨日から仲良しの友人が泊まったり、昼は英語講師のアルバイトの面接があったり、そのあと24日から転勤で福岡に行ってしまう、大好きな友人に東京最後の機会で会ったりして、いろいろ考えることがあったので、ブログに書いておこうかなと。

転職活動もそうなんですけど、はりぼうはベンチャーで編集者をしているので、ご想像通り、薄給なんです。ボーナスもない。ちなみに正直に言うと、うちの会社で何よりもまず一番変えるべきなのは、ボーナスの付与を始めること、あるいはボーナスがない分月給を某クラウドカンパニーのように30万円くらいにあげることだと思う。

まあ、それは置いといて。なんの話だっけ?
ああ、そうそう、はりぼうは薄給なので、お金がたまりません。
というわけでアルバイトをしよう決めたんです。
(副業はオッケーなので、会社に内緒でとかではないです!)

最初は、普段仕事で頭を使うので、あんまり頭を使わずにできるアルバイトがいいなーと思った。それか、まかないが出て夜ご飯代を節約できる飲食店のバイトとか。
とまあいろいろ考えたんですけど、せっかく自分の時間を使うなら、お金以外にも得るものがある方がいいなという結論に達し、英会話講師に応募したんです。

そしたら!!!
「ちょっとしたお小遣い稼ぎに」
「留学経験を生かしたい」
「きっかけはなんでもオッケー☆」
とか散々門戸を広く取っておいて、実はめちゃくちゃ狭き門である英会話教室に騙されて応募してしまったんですよ。

今日、アルバイトの面接なのに、会社説明会があるというので、まあいいかと思い軽い気持ちで参加したら、まず部屋に入り、「あれ?みんなスーツwwwwww」となり。
説明会が始まったら、基本は正社員採用の選考会だということに気がつき。
しかもなんか人事の人が4人もいるwwww
普通の企業の新卒採用よりガチやん、的な。

で、会社説明を散々聞いた後は、集団面接。←これ、絶対おかしい
そのあとは、模擬レッスンをしてくださいと一人一人別の部屋に連れてかれたり。

全部で2時間ほどだったんだけど、心の中でずっと「なにこれ、新卒の就活かよ!」ってツッコミを入れていました。しかも、説明会の最中に人事の人がぽろっと言ったのが、「応募者の2%しか採用してません」の一言。

まじ、2%しか採用してないならそれを募集要項にかけよ、

その数字見たら受けてないわ。と思った。
そんなこんなで貴重な休日の2時間を無駄にし。
確実に落ちたので、先ほど地元の薬局のレジ職に応募しました(笑)

その後、大好きな友人と恵比寿でお茶を。

その友人というのは、中学の同級生で、なんとイギリス留学時にも
偶然留学時期がかぶっていて、現地でも会ったり旅行したり色々した子なんです。

留学時期がかぶっていたのは、本当に奇跡に近くて。
前の記事ブログでも触れたことのある、中学の時3年間前後に座っていた子です。

いやいや、同級生なら留学時期かぶるのってそんなすごい偶然じゃなくね?と思うと思うんで、説明しておきます。

私がイギリス大学院に行ったのは2016年の月。
日本の大学を卒業したのが2015年の3月だったので、その1年半後ですね。
同級生は本来2015年の9月から留学に行っているはずなんです。

でも、彼女がなぜ同じ時期にかぶっていたかというと、彼女は高校時代に1年フランスに留学をしていて、高校を1年遅く卒業しているんです。だから、1年ずれていて、たまたま中学の頃に前に座っていて、かつ中学に入って最初に話しかけてくれた彼女が同じ時期にイギリスに。

本当に彼女がいてくれてよかった。

話が脱線したんですけど、その彼女が福岡に行ってしまうので、
行ってしまう前に、もう一度どうしても会っておきたくて、恵比寿に行きました。
私は6時過ぎに新国立劇場まで行かなくちゃいけなかったので、5時半頃にちょっとしたバイバイをしようとしたら、本当は笑顔で彼女の門出を祝いたかったのに、涙が出てきてしまい…申し訳なかった。

もちろん彼女が大好きで大切な友人だから、簡単に会えなくなってしまうのが悲しいってのもあったんだけれど。置いていかれる寂しさも大きかったんだろうなと思ったら、自分って本当にわがままなんだなって思った。

恵比寿の駅前で「ごめんね、大丈夫。泣かないから。」って涙を必死にこらえて拭っていたら、その子は、私より全然小さい慎重なのに、「泣かないで〜」と言ってぎゅうって抱きしめてくれて、本当にいい友達を持ったなと余計涙が出てきた。

もちろんそれと同時に、悲しさもこみ上げてきた。
生まれてからこのかた、私の大切な人はいつも別の国とか遠く離れた場所にいるから。
人生はやっぱり理不尽だなと思う。そういう星のもとに生まれたのか。

人生とは何かと言われたら、基本的に私の答えは、「理不尽の連続」になると思う。

お互いがお互いを大切に思っていて、大好きで、人生の時間を共有したいと思っているって、本当に奇跡みたいなことなのに、その人たちと同じ空間・時間をシェアできないなんて、人生は理不尽だとしか言いようがない。

日本の友達とか見てても、彼氏と毎週会えたり、同棲してたり。
どうして私にはこういう身近な幸せがないんだろうな、とよく思うなあ。
で、泣きながら山手線に乗り、幻冬舎の頃のバイト仲間の子との待ち合わせ場所で「近松心中物語」の会場である新国立劇場へ。

今回、近松心中物語をみようってなったのは、実は消去法で。

三谷幸喜の舞台はまだ先だった、しかも売り切れてた。
松尾スズキの舞台も終わったばっかりだったのかな。
歌舞伎は高いチケットしか売れ残っておらず。
ミュージカルは私があまり好きじゃないので。

といった理由で決まったのだけど、結局選んだのがこの作品で本当に良かった。

主役は、堤真一と宮沢りえ。
脚本は、蜷川幸雄さんだったみたい。前に「海辺のカフカ」を観たときも蜷川幸雄さんが脚本をやっていたのだけど、当時はご健在だったので、なんだか不思議な感じがした。

で、舞台自体がどうだったかっていうと、言うまでもなく、とてもよかった。
舞台装置もすごいし、役者もうまいし、コメディ要素も入っていて、話自体も割と私は感情移入ができた。
ちなみに友人は、「心中すんなよ、私ならしない」と帰り道で言ってたけど(笑)

私は根暗だし、ネガティブだし、恋愛に依存するし、結構病むタイプなので、
「いや、あの状況で心中するのは超わかるけどな!」と思ったw

でも、私が今回の舞台を見て泣いたのは、舞台自体とか、物語が原因では全くなくて、堤真一の素晴らしさが原因だった。話自体は悲しいけど、泣くほどではなく。その代わり何がすごいって、堤真一が凄まじい。

舞台の冒頭で、堤真一が声を出した瞬間、まずもう堤真一の声が誰よりも通ることに驚いた。

私が思っていた堤真一って、テレビのイメージだったから。
まさか堤真一がこんなに素晴らしい舞台俳優さんだとは気づかなかった。
舞台の最初から最後まで堤真一の演技や、溢れ出る存在感に圧倒され続けて、最後には涙が出た。

やはり大御所には大御所と言われる所以があって、
何十年もその道一本という人は、素人の私が見てもすぐにわかるくらいに抜群にその分野に秀でていて。未だに稽古とか、何ヶ月もかけて何回も何十回も同じセリフを毎日練習して、本番も1ヶ月とかほぼ毎日公演があり。

俳優って華やかに見えて、実はすげえ過酷な職業だなと痛感した。私は、彼らの仕事にたいする想いとか向き合い方とかを想像したら、どうしようもない気持ちが溢れ出てきて、涙が出た。想像を絶するほどの大変さと、プレッシャーと、緊張感と、挙げきれないくらいに多くのものを背負っていて。自分だったら彼らのようにできるだろうか、いやあ、絶対にできないよなあとか考えちゃいました。

そんなこんなで、やっぱり演じることが好きだから何十年もこの世界に居続けられて、辛い思いも誰よりもしたと思うし、稽古も誰よりもしたと思うし、熱意や作品に対する思いも誰よりも熱いんだと思う。そしてその結果、今の堤真一があるんだなと思ったら、畏敬の念が湧いてきたと同時に、自分は果たして一体何をやっているのだろうかと問いかけずには居られなくなった。

本当に、私は何をやってるんだ。
渋谷のしがないベンチャーで編集者やって、給料も大してもらえず。
編集者という名のライターに成り下がり、好きでもない日本に住み。

私がやりたいことはこんなことじゃない。
現状をなんとしてでも変えないと、このままでは私は一生後悔する。
転職サイトに頼っていても、正解は出ないし、私が自分でやりたいことを明確に言葉にできるようになる必要があるなと。

合う合わないをやる前から悩むのはやめて、やってみようよ。と思った土曜日。

1/16/2018

転職活動の話。

2017年の11月から日本で正社員として働いている私ですが、実は就職して以来、常に転職活動をしています。

直近で面接を受けたのは、某大手通信社。

応募している会社の条件は、インターナショナルカンパニー、あるいは海外出張、転勤があったり、海外と関わることのできる仕事。

某大手通信社は、一次面接は通ったのだけど、その次の筆記試験で落ちてしまった。

筆記試験はなんと3時間プラス1時間の計4時間でした。

正直、試験を開いた瞬間に、「あ、無理だ。」と思った。

最初の問題が、「ヨハネスブルグ、リオデジャネイロ、香港の通貨をそれぞれ答えよ」だったんだけど、香港しかわからないよwww香港も実はRenminbiと迷ったしww

そもそも、ヨハネスブルグってどこの都市かわからなくて、名前から推測してドイツだと思ってEuroって答えたんだけど、南アフリカだった…。


ちなみに南アフリカの通貨はランド(Rand)、

リオはブラジルなので、リアル(Real)、
香港はおそらく皆さんご存知の、香港ドル(Hong Kong dollar)です。

一次面接も、日本語と英語の両方でされて通過していたし、英語でジャーナリズムを学んでいた(ちなみにカーディフは一応イギリスでトップのジャーナリズムスクールだし…)ということもあって、不安はあったけど、まさか試験で落ちるとは予想していなかったなあ。


試験の内容は、めちゃくちゃ難しくて、前半は特に3時間あっても終わらないくらいの問題の質と量でした。金融の専門通信社ということもあり、株価の変動や通貨の問題、編集スキルを試される問題がたくさん。


今はこんな風に軽くかけるけど、試験の帰り道は、正直ほんとーに凹んで自分の不甲斐なさにむしゃくしゃしたし、悲しかった。だって、この会社は、本気で行きたくて。だから誰にも言わずに受けていたんです。


面接での人柄とかじゃなくて、スキルと知識の不足でそのチャンスを逃してしまうってものすごくもったいないことだと思って。だから、自分のインプットの足りなさとか、普段ニュースとか読んでいるようでちゃんと読んでいなかったんだなあと思ったら、気持ちがどんどん沈んでいき。苦笑


なので、帰り道に大好きな人に、実はこういう会社を受けていたのだよーという報告をし、ラインでぐちぐち聞いてもらいました。そしたら、彼は試験内容を知って、「それってはりぼうに向いてないからいいよwww」と。なんか、人間ってとっても単純だなと思うけど、大好きな人にそう言われたら、確かにそうか!まあいいか!と元気が出たwww


そんなわけで、今もいろんな会社にちょくちょくですが応募しています。


あ、そういえば。最近、もともと好きじゃなかったある会社からずっと前に応募していたロンドンでのポジションの件で返信がきて。


「すごく遅くなってすみませんでした。電話面接をしたいので日程調節をしましょう」

という内容のものだったんです。

遅くなったことへのお詫びもあるし、ちゃんと宛名に私の名前入っているし、応募したポジションの開始日時は3月以降だったので、素直にイエエエエイと思って面接日程の調整をしようとしたら、


「すみませんテクニカルエラーでした。あなたは面接に招待されてませんので招待メールは無視してください、てへぺろー!」ってメールが来ました。


完っ全に上げて落とされたwwww



ちなみにこの企業、最近海外ではやっている大勢の女がリッチな一人の独身男性を取り合うという番組を有料会員限定に配信している某イーコマースの企業です。


日本でも新卒採用枠を受けていたのだけど、人事の対応がひどすぎて大嫌いになり

有料会員を解約したのだけれど。今回の件でさらにイメージが悪くなりました。。

転職活動を地道に続けてはいるけど、今の会社は、正直良い人が多いし、日本の会社の中では相当寛容だと思う。ひとまず恵まれているので、業務とか人間関係が辛くて辞めたいとかではないんです。


ただただ、今の会社にいたらずっとフラストレーションを抱えたまま人生の大切な時間が過ぎていってしまうなと。


年末に定めた期限まであと約300日。

その間にどうしたら日本を脱出できるのかわからないけど、今はできることをやり、企業に応募し続けるしかないかな。

私は、ライターにはなりたくないんだよな。

書くのは嫌いじゃないし比較的得意だけど、好きではない。
なので、書くことを生業として生きていくのは、どうしても嫌なんです。

現状、肩書きは編集者と言いつつ実質やっていることがライターになっていこともあり。もう一社の内定をいただいていた会社をお断りした理由は、ライター専業になりたくないからだったのに、なんで毎日朝から晩まで記事書いてるんだろう…。と思う毎日。


ところでブロガーってブログ書きにくいから、ブログをちゃんとやるにあたって、

どこか他のブログに移行しようかとかも考えています。

結構前にドメインも解約しちゃったし、どうしようかなー!

更新が続くようだったら考えよう。

ではでは。

1/01/2018

日本で働くことにした理由


前回記事でも書いたように5月の末から7月の末まで日本で卒業論文を書いていました。
で、そのあと実家のバンコクに2週間ほど帰省して、イギリスに飛びました。

もともと、タイに帰省するつもりなんてなかったので、
イギリス成田の往復チケットが…

しかもイギリス成田の往復チケットはフィンエアーで、
フィンランド経由だったので、帰りの飛行機が、バンコク、成田、フィンランド、ヒースローと言う二回乗り換えの超長旅に…

6時間半、10時間半、3時間で約20時間の飛行時間に。
さらに、カーディフに帰らないといけなかったから、
ヒースローについてからも、3時間のバスでの移動があった。

このあと、カーディフについてからの2週間くらいが、一番楽しいカーディフ生活だったな。提出まで2週間あったんだけど、周りも結構まだ卒業論文を書き終えていなくて、みんなでPostgradのラウンジに毎日行き、朝から晩まで卒論。笑


こんな感じでみんな無言で朝から晩までカチカチ…
と思いきや、みんな喋りまくり。笑
卒論書けよ!

みんなが考えているのは、夜にどこでなにを食べるかってことだけ。
集まって、卒論書いて(まあ四六時中喋っているわけではないのでさすがに)、六時くらいになると、じゃあ今日はカーディフのあのレストランでこれを食べよう!って言ってみんなでぞろぞろとレストランへ。笑

固定ではないけど基本4〜5人はいるのでタクシー使ったりもしてた。笑

なので、私はみんなが午後に起きてきてのそのそ来る前に、朝から一人で先に行って書いたました。

みんなわりと同じようにしてて、ラウンジに夕方に来て、夜中にテンション上がってくるらしく、夜中ずっと起きて家で書いている子もいたし、
Student Unioin(SU)が24時間あいたるから、他のみんなが帰ったあとに残って書いている子もいたなあ。

私はオールが嫌いなので。
で、2週間で卒論提出〜!!一緒にSUで頑張ったヒマンシュと!
ちなみにこの写真は、提出日前に撮ったやつじゃないんです。笑
ハードカバーを印刷するのに数日かかるので、本当は、提出日数日前にハードカバー製本の引換証を提出して。そのあと数日間は卒論終わった開放感に溢れて、遊び呆けている間にようやく出来上がった卒論がこれで。

なのでこれは締め切りをとうに過ぎている、ハードカバーを最終的に提出する時に撮った写真。続々と周りが卒論を終え、(中にはもうこの時期に帰国する人とかもいて)やっとみんなで課題やら卒論やらを気にかけず遊べる時が来たのがこの時期。

卒論が終わって暇で、12時頃にもう寝るつもりでベッドでぐだぐだしてたら電話かかってきて、いま家の近くのケバブ屋にいるから出てきてー!とか、呼び出され、すっぴんスエットみたいな格好で向かって、そのままウィリヤの家に泊まったり。

まるで高校生みたいなことをして、本当に幸せで楽しかった。

これは、香港人のJoとその彼氏の家で、インドネシア人のウィリヤ、中国人のジョージーナ、インド人のヒマンシュとケバブ屋さんのスペシャル肉セットを持っていき、お酒を買い込みやったプチホームパーティー。


この日はヒマンシュがカーディフを離れる日で、先に帰っちゃうというので、私は号泣。
ヒマンシュは、カーディフに来て最初にできた友達で、選択科目とかもずっと一緒で、班もうまくかぶっていて。本当に最初から最後まで一緒にいた人。

ヒマンシュには、たくさんたくさん助けられた。

一緒に良すぎて途中話すことなくて、会ってても無言だったりしたw
で、私もこの数日後に、カーディフを離れ、ちゃんと就活をするためにロブのママの家のチェプストーへ。

この時はまだいつ日本に帰るかも決めていなくて、ただただなるべくイギリスにいたかった。

で、1ヶ月間とにかくいろんな企業に応募しまくった。
とはいえ、やっぱりやりたいことはあったので、出版関係とか報道関係とか。
ビザを出してくれる会社のリストから出版社や報道関係の会社を見つけては、採用ページに飛び、電話かけて担当者名前聞いたりして、履歴書を添付。

返事が来たのは、短期インターンの一社だけ。
しかも、面接の日時を決めている最中にブチられた。

で、1ヶ月しても音沙汰がないので、いろいろなことを考え始めた。
私はどれくらいイギリスが好きなのかとか、イギリスに残りたい理由はなんなのかとか、日本に帰ったら就職口が見つかるのにとか。

で、最終的な決断として、日本に帰ることにした。
大学時代に幻冬舎で出会ってから、ずっとお世話になっている舘野さんに話を聞いてもらったり、ロブママの友人のベッツィにBrecon Beaconsに連れて行ってもらいながら今後どうしたいのか聞いてもらったり。もちろん父親にも母親にも相談した。

で、私がイギリスに残りたい理由って、たった一つしかないんだなと。
それはブログに書ける理由ではないので書かないけれど、もしそのためにイギリスに残るなら、大事なファーストキャリアを妥協して、9ヶ月を無駄にすることになっていた。

そんなこんなで、日本で働きたいから日本に戻ってきたわけではなくて、
ただただイギリスにしがみついてまで残る理由がなかったから戻ってきただけです。